※乳癌の体験談を最初からお読みになりたい方は
「私の治療記録~宣告から再建まで~」より、ご覧いただければと思います。
かなり間が空いてしまいましたが、(3)大病院での再検査(細胞診)を受ける。そして先生との喧嘩! の続きを、当時の日記を見ながら、体験談としてUPしていきたいと思います。
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2週間後に全摘出と言われて
乳がんと告げられ、ショックではありましたが、悲観している時間も余裕もなく、
会社の仕事をどう引き継ごうか?(みんな手一杯で余裕は無い)
手術中に4歳の子供のお世話をどうしようか?(お○っこは自分でトイレへ行けたが、う○ちだけはまだオムツが取れていなかった)
その準備方法に頭を抱えました。
子供は保育園へ入れていたため、平日の日中は安心ですが、主人の仕事は出張も多く、昼夜問わず打ち合わせが入る職種のため、保育園の送迎に加えて、夜の食事作りや、寝かしつけをお願いすることは難しいという現状がありました。
また、子供が体調を崩し、保育園を休むようなことがあったらどうしようか…。
ベビーシッターさんにお願いしたこともありましたが、専任の方がついてくれるわけではないため、子供のストレスを考えるととても可哀想です。
おまけに、1時間2500円ほどの利用料がかかるため、9時~19時までお願いしたとしたら、一日25,000円!
ひと月に何日もお願い出来る金額ではありません。
かかりつけの小児科には、病児保育という病気の際に預かってくれるようなシステムもあり、よく利用させていただいていましたが、一日に入所できる定員枠が決まっており、人気なので、毎回申し込んですぐには入所出来ず、翌日以降に空きが出て、利用できるかもしれない、という不確定なものでした。
仕事は年末年始進行で、1年のうちでかなり忙しい時期でした。
外資系企業が早々にクリスマス休暇へ入るなか、私の部署は年末の最後ギリギリの出勤日まで、忘年会もままならないまま、突っ走るイメージです。
もう頭の中で、ぐるぐるぐるぐる…
自分の病状のことを考えるよりは、子供と仕事のことで頭がいっぱいでした。
病院から自宅に戻ると、自分でも驚くほど冷静に、主人に乳癌だったことを報告しました。
「え…マジ?……」
次の言葉が見つからない様子で、主人の方がとても動揺しているようでした。
主人に泣かれたら、私も泣いてしまいそうだったので、あまり深刻ぶらずに、淡々と結果を報告しました。
私は以前から、ブログや本などで、”抗がん剤は製薬会社の金儲けのためにある”という記事をよく目にしていました。
読んだことはありませんでしたが、近藤誠さんや、船瀬俊介さんの著書を書店で見かける度、もし自分が病気になったら、病院と先生の言うことをただ鵜呑みにするだけでなく、自分で治療法や病院をしっかり探したいと思っていました。
よって、細胞診を行い、乳癌の宣告を受けたTセンターで手術を受けることだけは嫌だと、主人に経緯を説明し、他にいい病院が無いか探してみたいので、少し時間が欲しいと頼みました。
主人は、「病院の先生が言うんだから、ちゃんと手術を受けた方がいいよ…」とは言いましたが、病院に付き添おうとする姿勢はありませんでした。
むしろ、病院で一緒に話は聞きたくないと。
心配していないわけではないことは解りますが、怖いのだな、と思いました。
こういう土壇場では、男性よりも、女性の方が強いものです。
私は子供の頃、母が亡くなる前の病室で父がうろたえているところを見て、「臨終の時くらい、じたばたしないで静かに見守ってあげればいいのに」とか、「元気なうちに優しくしないで、いまさら泣いたって遅い!」と毒を吐いていた子供です。
よって、主人には期待も絶望もありませんでした。
男の人はこんなものだ、と冷めていた反面、この人は子供がいるから私と一緒にいるけど、本当は私のことはそんなに好きではないのだな…と、悲しい気持ちになりました。
私の父には、当時長期で海外へ行っていたのと、実母が癌で亡くなっているので、もし報告するとしたら、帰国してから、それも手術が終わった後に報告したいと、主人に相談しました。
主人の母には、2年前に義父が癌で亡くなったばかりで、その心労に加えて、嫁である私が乳癌とわかったら、もうショックで倒れるんじゃないかと思い、タイミングを見て、会った時に話そうということにしました。
職場には、とても言いにくかったですが、再検査を受けにいっていることは話してしまっていましたし、人間ドッグの結果も、会社に報告が行くと思いましたので、
まずは直属の上司と、部署のマネージャーに乳癌だったということの結果と、セカンドオピニオンを受けようと思っている意思、その検査の際には、有休をとらさせてもらいたいことをお願いしました。
手術をするにしても、予め準備をしていきますので、本当にご迷惑をおかけします…と話すと、「もう仕事のことはいいから、いい病院探して、早く手術しなよ!」と言ってくださいました。
病名が病名なので、部署のメンバーには伏せていただくことにしました。
上司2人も、その方があなたのためになるなら、と同意してくれました。
乳癌だということが社内に知れ渡って、私が死ぬかもしれないと、少しでも思われることが嫌だったのです。
職場の部署では、病気になったら負け、というくらい張り詰めた空気があり、身体が弱い人間を無能呼ばわりするお局もいます。
ああ、私もここで脱落するんだ…と思い、
病名はみんなに告げずに、知らないうちに治してしまわなければ!という思いで一杯でした。
病院探しは、というと…
それまで健康で、出産の1ヶ月前まで元気に働いていたほどでしたから、病院事情には疎く、どこから手をつけたらいいかわかりませんでした。
医者になった同級生に病院の口コミを訊こうかとも思いましたが、男だったので、「久しぶり!私乳癌になっちゃって」と切り出すのにも気がひけました。
ほかにも、癌になった友達に心当たりはありません。
まずは書店で乳癌に関する本を買おうか…。
会社の仕事に加えて、家事と育児もあったので、あまり十分に調べることが出来ずに、焦りも出てきました。
「大丈夫、大丈夫」と毎日自分自身に言い聞かせながら、心を落ち着かせ、職場と保育園と自宅をただひたすら往復するという、淡々とした日々が過ぎていきました。
私の乳癌体験談(5)これからの生活の不安(仕事のこと、収入のこと、お金のこと)
につづく…
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