※乳癌の体験談を最初からお読みになりたい方は
「私の治療記録~宣告から再建まで~」より、ご覧いただければと思います。
人間ドッグ先の先生から急遽、個人携帯に連絡をいただいた私は、会社が休業日である土曜日に、検査結果を確認するために、クリニックを訪れました。
そこで先生から告げられたのは、「この腫瘍はおそらく99%乳癌と思われるので、専門病院をご紹介します。そこで再度精密検査を受けてください」との言葉でした。
「ああ、やっぱり」と冷静に受け止める自分がいました。
動揺してもいい事だと思うのですが、自分でも驚くほど落ち着いていました。
昨年1年検査をし忘れたことが悔やまれるものの、先生から診察履歴を見せていただくまで、本当に昨年のことは忘れていました。
病院をご紹介いただくにあたり、初めは、築地の国立がん研究センター の名前が出たのですが、築地という場所にあまり馴染みがなく、仕事と子育ての傍ら通うのも遠いので、今後の治療のことも考えて、駒沢公園の隣のTセンターを紹介していただきました。
早速紹介状を書いていただき、Tセンターで、MRIと細胞診を受けましたが、検査が半日以上かかり、結局会社を休まなくてはならず、かなり参りました。
病院で待つ時間が非常に長いので、その間会社のメールチェックをしたりして過ごしましたが、仕事のことが気になって、イライラしていました。
細胞診は、太い針を刺す時の振動が身体全体に響いて、それはそれは恐ろしかったです!!
今思えば、全摘の手術の前よりも恐ろしかったかも…!
終わった後、ものすごい厚くガーゼで胸を保護された時は、ショックだし、じんじん痛いし、怖くて身体を動かせませんでした。
何日か後に、癌かどうかの結果を聞きにいった日は、不安でしたが一人で行きました。
ステージ2で、胸を全摘出するしか方法が無い、と言われた時は、もっと大泣きしたり、取り乱したりするかと思いましたが、ここでもかなり冷静でした。
今でも忘れられないのが、乳癌と聞いてショックというよりも、
「ああ、これでやっと休める」と、ほっとしたことです。
入院でもして会社を休めるなら、それはありがたい。
少し休みたいというのが本音でした。
不思議だったのは、当時は、自分が死ぬかも、という不安は全くなかったことです!
母が子供の頃に亡くなっているため、死んだら母の元に行けると思い、決して怖くはありませんでした。
でもこの時、かなり精神的にも疲れていたんだな…やばい状態だったのだな…と今になって思うのは、自分が死ぬことによって、子供と離れてしまうことにあまり執着がなかったということです。
今であれば、一番可愛い時にわが子と離れるなんて、それも1人っ子で他に兄弟がいないこの子を一人置いて死ぬなんて、今なら到底考えられません!!
母親であれば誰もが、なんとしても治して生きなきゃ!と思うはずです。
でもその時は、子供を育てることがどんなに大変か、主人がよくわかるチャンスだから、私の手術がいいきっかけなのかもしれない、と思いました。
絶対自分は死なないと確信していたから、そう思ったのかはわかりませんが、今思えば恐ろしい母親です。
先生にはその場で、2週間後の手術のスケジュールを入れるようにすすめられましたが、出張も多い主人だけに子供を預けるのが本当に本当に心配で、子供の面倒をしっかり見てもらえる準備を整えないと手術の日は決められないから、もう少し待って欲しい、とお願いしました。
その時期は、まだおむつも取れていなかったし、抱っこ抱っこと、まだ抱っこをせがまれる時期だったので、入院中の2週間だけでなく、退院後の生活も考えねばなりません。
自分が死ぬことに恐怖は無いのに、子供のことはやっぱり心配でした。
なんだか矛盾していますよね!やはり混乱していたのでしょうか。
主人だけに子供を見てもらうのは、本当に心配なので、義理の母にお願いしよう!
でも、私が乳癌だとわかったら、それはショックだろうし、平日の夜に、それも子供が足にまとわりつく状況で、突然電話で乳癌だったと切り出し、手伝いをお願いするのにも気がひけました。
義理の母は、実母がいない代わりに、出産後に手伝いに来てくださるほど、本当に頼りになるいい方で、だからこそ、悲しませてしまうことにも心が痛みました。
仕事の面でも、突然、2週間後に手術をしたいので2週間お休みします!と言って放り投げるわけにもいきませんでした。
ゆくゆくは入院期間中休ませていただくとしても、これまで予算をかけて綿密に計画していたものを、ここでポイっと無駄にするわけにもいきません。
「あと1ヶ月とちょっと過ぎれば年末になりますし、手術後、そのまま年末年始のお休みに入れば身体も休められるので、そのタイミングに合わせて手術の予定を入れさせていただけませんか?」と再度お願いすると、「何言ってるの?あなた死にたいの?」という非情な言葉!
加えて言われたのは、「あなたはまだ若いから進行が早い、小さいお子さんがいるんだったら、尚更迷ってる場合じゃないでしょう」と。
「そんなのわかってます!でも自分の命よりも、子供がちゃんとご飯を食べられるか手筈を整えずに、安心して手術なんて受けられません!」と、思わず叫んでしまいました!
癌と宣告されただけでもショックな患者に、死にたいの?だなんて!!
こんな言葉を発するような先生には、絶対、自分の身体を任せたくない!!
不安になるどころか怒りがこみ上げてきて、その場でセカンドオピニオンを受けることを固く決心して、足早に診察室を後にしました。
病院の先生とここまで言い争ったのは生れて初めての経験でした。
言い争ったというより、一方的に病状の宣告と早く切れと言われるだけで、患者である私の気持ちに寄り添おうというような診察では、全くありませんでした。
これじゃあ、他の患者さんなんて、脅されて、説教されて、涙ながらに全摘出しちゃうんだろうな…と人ごとのように考えてしまいました。
ちなみに、再建の方法については、ほとんど説明がありませんでした。
どのような再建方法があるのか?とか、どんな感じに戻るのか?などの説明や、画像を見せていただくこともなく、ただただ、2週間後に切れ!と言われるだけ!
自分で調べないと、病院では何にも教えてくれないものなんだな、と思い、待合室からパンフレットを持ち帰り、清算の順番を待つ間から、すぐにセカンドオピニオン先を探し始めました。
冷静でいたつもりでしたが、その日はさすがにショックだったのか、病院からの帰り道は、どこをどう通って自宅へ帰ったのか、まったく覚えていません。
私の乳癌体験談(4)乳癌それも全摘出と診断されて。家族や職場へどう話そう…
につづく…
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